2014年3月1日土曜日

"The Wind Rises"『風立ちぬ』

最近これほど待たされたのもめずらしい、『風立ちぬ』、やっと本日(2014年2月28日)一般公開です。

サンタクルーズでは深夜ゼロ時の先行上映のみ日本語映画字幕上映なので、嵐が迫る中を劇場へ駆けつけ、いや傘を差しつつ急ぎ足で向かいました。こんな天気だし、題材が題材だし、あまり人は集まらないだろうな、まあ一ケタ台だった『フランケンウィニー』よりはましだろう、と思って来たら、ほぼ満員。ただ、3つあるDel Mar劇場のスクリーンのうち、一番大きいのではなく二番目のスクリーンだったのが、ちょっとケチくさいなと思いました。観客はたぶんほとんどUCSCの学生たちでしょう。男同士、女同士で4,5人の組で来たり、カップルで来たり。一組、仲むつまじい金髪百合カップルもおりました。仲間同士、お菓子を分けあったり、みんな楽しそうでいいなあ。



映画冒頭、日本家屋の全景からカメラが寄っていき、縁側に面した部屋で昼寝をしている男の子(不自然に睫毛が長い。宮崎アニメの「美形の男」の表現て、睫毛を長くすることらしい)と女の子が映ります。と、その男の子ははしごをつたって屋根に上り、待機していた飛行機に乗って、飛び始めます——。

そのうち、伸縮する爆弾がやって来て、これが男の子の夢であることが分かります。普通に考えれば、一般家屋に飛行機が止まっていて、男の子が飛びたつなんて、現実にはあり得ないんだからすぐに気がついてもいいはずなのですが、なにせアニメーションです、宮崎アニメです。全然違和感がなくて、男の子が(お話の中で)実際にやっているシーンだと思って観ていた観客は少なくないんじゃないでしょうか。ビジュアルにも違いを持たせず、(お話の中の)現実世界から夢のシーンに変わる時にそれとわかるトランジションもない演出に、「???」と疑問符だらけの頭で観ていると、場面は学校の中に変わり、そこで初めてセリフが発せられます。

観客一同、ビックリ。英語をしゃべってる……。

ビックリしたざわめきは、すぐ、「この雑誌日本語じゃないけど」と英語でしゃべる違和感への、笑い声にとって変わります。

ほどなくしてスタッフのおじさんがやってきて、「ぼくのせいじゃないけど、君たち日本語版を観に来たんだよねぇ?(観客:「そうっす!!」)ぼくのせいじゃないけど……」といい訳しながら映写室に入っていって、フィルム、じゃなくて今はディスクなのかな、を差し替えてくれました。
 割とこういうアクシデント、こちらでは普通。こないだ『ミケランジェロ・プロジェクト』を観にいった時は、左右のカーテンがスクリーンに被さってて、5分後ぐらいにいつのまにか直ってたなんていうことも。直してくれるだけマシで、とうとう最後まで天井の照明がつけっぱなし、とか扉閉め忘れ、とかもあります。観客もそんなにこだわらない。さすがに、別の映画作品がかかっちゃった時には、お客さんが抗議に行きましたけれども(^_^;)

さて、気を取り直して最初から。おお、「東宝」って出たよ! 見慣れた丸いアイコンが、バーンと! これこれ。

例のセリフでは、やっぱり違った意味で笑いが起きてました。そしてやっぱり、その後もところどころで「日本人にはどこがおかしいんだかさっぱりわからないところで笑うアメリカの観客」現象が……。まじ、どこがおかしいん? どうも、二郎と本庄に過剰な「ブロマンス」、BL的なものを勘ぐっていた節があって、そこのところはなんとなくどうして笑うのか推測できたけど、ほかはホントにどうしておかしいのか。追求すれば、比較文化論の論文が書けそうなテーマよ。

二度目の「いきなり妄想シーン」が出て来て、やっぱりその唐突さに「???」となり、その後、列車に乗っている成長した二郎の場面へ。ヒロインとの出逢いがあり、二人が車上の時、大地震が起きる。やはり唐突な演出のせいで、これが(お話の中の)現実なのか、二郎の妄想なのか、しばらく判別できない。この素人臭いミスのような演出の目的が、私には最後まで分かりませんでした。狙いがあるのか、宮崎アニメを見慣れた観客への甘えなのか。

でも、それが現実の場面を描いていると判明した後からは、やっと、安心して映画に身を委ねることができました。あのあたりの描写、素晴らしいですね。宮崎アニメの一番の魅力は、モブシーンじゃないでしょうか。これだけは、世界中のどこの誰にも真似できないと思う。

妄想シーンの謎のほか、この映画を通して2点ほど「?」と思うところが。ひとつめは、水や、プロペラに切られる空気が、気体や液体よりも、やけに質量を持たせた描き方をしているところ。アナログアニメの限界を開き直って逆手に取り、益々リアル感を備えていく3DCGでは出せない存在感や生っぽさを強調したかったのだろうか? 二郎が涙を流すシーンでは、ソチオリンピックの閉会式で一粒涙を流していたマスコットのクマを思いだしてしまったんですけど。もうひとつは効果音。あれはどうなのよ(手法については後で調べて分かりました)。特に違和感を覚えたのが、大地震の場面。でも、地震の後の静寂を、赤ん坊の泣き声だけが響く、という表現、ああいうのに「天才」を感じます。庵野の声については、見事のほどの棒読みが、確かに「あちゃー」と感じる箇所がいくつかありましたが、全体的には不思議と納得できました。

映画のはじまりから終わりまで、主人公にもヒロインにも感情移入できないし、特に好意も愛着も持てない。主人公の飛行機への夢想は、観客を一緒に連れていかない。ひとり、「美しい飛行機」への夢想に浸り、こころはいつでも空の上の二郎を、観客は客席から、地上から、重力に縛られて眺めている。二郎と菜緒子に置いてけぼりを食っている。それでいい、それがいい、サバサバした映画だった。「美しい」ところだけを見せ、醜い現実はバッサリ省略する、うじうじ後悔したり反省したり悩んだりしないこの映画は、アメリカ人には受け入れやすいのではないだろうか。感情表現もアメリカの若者達が笑っちゃうぐらいストレートで、そういえばそれは宮崎アニメは以前からどれもそうで、それがアメリカや、海外で受け入れられる理由のひとつかもしれない、映画を観ながらそんな印象をうけました。

引退なんて嘘でしょう。まだまだ、いくらでも語れるでしょう、語りたいことあるでしょう。視力や体力的に無理ならば、アニメーターとしては引退したらいい。監督業は続けたらいいじゃない。マーティン・スコセッシやウディ・アレンを見てよ。

「煙草の場面多すぎ」と、どこかの団体がクレームをつけたと、ニュースで読みました。私も安易にスクリーン上に煙草を出すのは反対だから、「え、そうなの、それはよくないなあ」と思ったのですが、観てみたら、これにクレームをつけるはちょっと違いますね。ホッとしました。今年の秋ぐらいにミケランジェロ・プロジェクト』が日本で公開されるとき、この団体は絶対そちらにも抗議してくださいね。そうじゃなきゃ嘘だから。ミケランジェロ・プロジェクト』の煙草の方が、よっぽど問題あるから。

黒川、もちろん大人気でした。あと、二郎の妹も好感持たれてたようです。私はヒロインのお父さんがカリオストロ伯爵だったのと、二郎が1シーンでホームズの帽子を被ってたのがツボでした。

嫌だったところもあります。ほかでもない、「美しい」という形容詞を乱発しすぎな点。免罪符か。「かわいいは正義」と一緒じゃないか。いや、わたしだって基本「美しいは正義」と思ってます。「美しい」が何も外見の美しさに限ったことではないこと、機能美だったり、生き様だったりを含んでのことで、対極として軍部とか、飛ばない飛行機とか、弱者に優しくない世相とか、全体主義とか戦争とかだったりを置いて、「醜いもの」をあえて出さず、二郎の一貫した理想主義を描いているのは分かるけれども、でもしつこすぎよ。「言わぬが華」をあえて口に出させるのは「美しくない」よ。そうしないとアニメじゃ伝わらない部分もあるけどさ。それと同じ伝で、二郎の「美しく生きようとする姿勢」を強調しようとしたあまりの、ドイツの飛行機工場でのドイツ兵相手のお説教場面。あれも「美しく」なかったよ。「他国とのコミュニケーションで卑屈になってちゃダメだ。黙ってちゃダメだ。どんどん言わないとナメられる」というメッセージが聞こえて来そうでした。

「美しい」ことへの宮崎監督のこだわり、彼の美意識がみてとれることのひとつに、歴代のヒロイン像がありますね。きりっとまっすぐな瞳の、強く正しく美しくけなげなヒロイン達。そういえば、「もののけ姫」でもアシタカがサンに「お前は美しい」と、しれっと、「美しい」という言葉を吐いていましたっけ。監督は照れずに「美しい」と口に出せる人なのか。むかーし、インタビュー記事で、監督が「今どきのアイドルは汚らしい、クレメンタイン(←名作西部劇『荒野の決闘』のヒロイン)みたいのが正しいヒロインなんだ」と言っていたのを覚えています。

「魔の山」こと山中のホテルで、二郎と菜緒子を暖かい目で見守る謎の外国人も、少し恥ずかしかったです。「極東の若者の純粋さに理解を示す大人の余裕の青い目の友」みたいな構図が……。

あと、菜緒子にサナトリウムを抜け出させることを決意させた、二郎の手紙には、どんなことが書かれていたのでしょうか。なんかのっぴきならない切羽詰まった事情が書かれていたような演出でしたが、その後、「これか」と思わせるような出来事は何もなかったような。単に「会いたいけどお仕事が忙しくてなかなか会いにいけないのよー」みたいな内容だったのかな、案外。

実は、あまりこの映画に期待していませんでした。年が明けて劇場でかけられはじめた予告編が、まずちっともアピールしてきません。「とんでもなく素晴らしいアニメーション」みたいな文字で煽られても、『アナと雪の女王』のような、最新3DCGを駆使した目を瞠るようなビジュアルに比べ、あいも変わらずのベタッとした、奥行きも陰影も細部の描きこみもない、セルアニメそのままのジャパニメーション。ストーリーも昔の日本の地震だの戦争当時の人々だの見せられても、よそ事だし、子どもが喜ぶようなクリーチャーも出て来ないし、ほかにいくらでも魅力的な映画があるのに、なんでわざわざこれを観にいかなきゃいけないの、てな印象を受けとったのです。また、テレビで宣伝をかけるのが遅すぎた。公開のわずか数日前です、テレビで予告編を見かけるようになったのは。『アナと雪の女王』のあの怒濤の宣伝攻撃となんとう違いだろうか。これは、ディズニーが、『風立ちぬ』はアメリカでは客が入りそうにないと見限って、それでおざなりにしか宣伝していないに違いない、そう思ったのです。

実は、反対でした。『風立ちぬ』は立派な『アナと雪の女王』の対抗馬。ひとつも見劣りしない、素晴らしいアニメーション作品でした。

氷対風」の戦いは、興行成績や映画賞レースでは、宣伝の差ではじめから勝負あったようなものです(でも英語吹き替えのキャスティングは超豪華ですね。冷遇しているわけではないのか……)が、アニメーション作品としては、甲乙つけたがいものがあります。

3DCGによる圧巻の雪と氷の描写に、ちっとも見劣りしない、手書きによる風の表現。おみそれいたしました。宮崎は、亀を追い越そうとするアキレスではなく、我が道を行った二郎と同じことをやってのけてます。

黒川家を尋ねてきた妹と会うときの、二郎が正座する動作。結婚式の時の、菜緒子の羽織りの動き。風にはためくカプローニの愉快なヒゲ(^_^)……。

ただ、カストルプや二郎たちが歌を歌う場面の、口パクのへなちょこさだけは、ちょっと恥ずかしい出来だと思います。もう少し合わせる努力をしようよ、リップシンクにうるさいアメリカ人に笑われるよ。

映画館を出ると、ああ降ってる降ってる。夜中の二時半、びしょ濡れになりながら家に帰りました。こっちの道路は水はけが悪い……。明日は虹がみたいものです。


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